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『史実』の定義について Edit

このサイトにおいて『史実』という単語はゲーム公式に準拠し、モデルとなった文豪の生涯を中心に、歴史書に載らない逸話等も包括する広義的な内容を示すものとする

年表 Edit

文豪たちの生没年や代表作発表時期、その他ちょっとした出来事等をまとめた年表です。

この年表は実際の歴史を元に作成しています。 ゲームの世界はどこかの時点で違う歴史になっている所謂パラレルワールドなので、この年表の出来事が正確とは限りません(近代風情が長く続く世界、ということなので戦前の状態が未だに続いている?)。

詳しくはWikipediaをご参照ください。

1800年 Edit

1850年(嘉永3年)6月27日小泉八雲ギリシャのレフカダ島(当時はイギリス領)で誕生
1859年(安政6年)6月22日(旧5月22日)坪内逍遥美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)で誕生
1862年(文久2年)2月17日(旧1月19日)森鴎外石見国鹿足郡津和野町町田村(現・島根県津和野町)で誕生
1864年(元治元年)4月4日(旧2月28日)二葉亭四迷江戸市ヶ谷(現・東京都新宿区)で誕生
1867年(慶応3年)2月9日(旧1月5日)夏目漱石武蔵国江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区喜久井町)で誕生
8月22日(旧7月23日)幸田露伴武蔵国江戸下谷(現・東京都台東区下谷)で誕生
10月14日(旧9月17日)正岡子規伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)で誕生
1868年(慶応3年)1月10日(旧12月16日)尾崎紅葉江戸芝中門前町(現・東京都港区芝大門)で誕生
1871年(明治4年)8月30日(旧7月15日)国木田独歩千葉県銚子で誕生
1872年(明治5年)1月22日(旧1871年12月13日)田山花袋栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)で誕生
2月1日(旧1871年12月23日)徳田秋声金沢県金沢市横山町(現・石川県金沢市横山町)で誕生
3月25日(旧1872年2月17日)島崎藤村筑摩県第八大区五小区馬籠村(現・岐阜県中津川市馬籠)で誕生
1873年(明治6年)11月4日泉鏡花石川県金沢市下新町で誕生
1878年(明治11年)3月4日有島武郎東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)で誕生
1879年(明治12年)3月3日正宗白鳥岡山県和気郡穂浪村(現在の備前市穂浪)で誕生
1879年(明治12年)12月3日永井荷風東京府東京市小石川区(現・東京都文京区春日)で誕生
1880年(明治13年)市内養成小学校(現在の金沢市立馬場小学校)に徳田秋声と一学年下に泉鏡花が通っていたこの時点では顔見知り程度
1883年(明治16年)2月20日志賀直哉宮城県牡鹿郡石巻町(現・宮城県石巻市)で誕生
3月13日高村光太郎東京府東京市下谷区下谷西町(現東京都台東区東上野)で誕生
1885年(明治18年)1月25日北原白秋熊本県玉名郡関外目村(現・熊本県玉名郡南関町)で誕生
5月尾崎紅葉らを中心に近代日本最初の文芸雑誌とも言われる「我楽多文庫」が作られる
5月12日武者小路実篤東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区麹町)で誕生
8月24日若山牧水宮崎県東臼杵郡東郷村(現・宮崎県日向市)で誕生
 坪内逍遥が日本最初の近代的文学論といわれる「小説真髄」を発表。日本に西洋近代文学および写実主義を紹介する。
1886年(明治19年)2月20日石川啄木岩手県南岩手郡日戸村(現・岩手県盛岡市日戸)で誕生
7月24日谷崎潤一郎東京府東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋人形町)で誕生
11月1日萩原朔太郎群馬県東群馬郡北曲輪町(現・前橋市千代田町)で誕生
1888年(明治21年)12月26日菊池寛香川県香川郡高松(現・香川県高松市)で誕生
1889年(明治22年)1月夏目漱石正岡子規の親交が始まる
4月泉鏡花が友人の下宿において尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読み衝撃を受け、文学に志す
8月1日室生犀星石川県金沢市で誕生
11月泉鏡花尾崎紅葉の門下に入ることを志し、上京
1890年(明治23年)1月森鴎外『国民之友』に「舞姫」を発表
4月小泉八雲雑誌通信員として来日、8月に島根県尋常中学校へ英語教師として赴任
1891年(明治24年)10月19日泉鏡花尾崎紅葉の門下に加わる
田山花袋尾崎紅葉の門下に加わるが、尾崎紅葉の指示により江見水蔭の指導を受ける
坪内逍遥森鴎外の間で「没理想論争」が起こる(翌年決着)
1892年(明治25年)3月1日芥川龍之介東京府東京市京橋区入船町(現・東京都中央区明石町)で誕生
4月9日佐藤春夫和歌山県東牟婁郡新宮町(現・和歌山県新宮市)で誕生
8月11日吉川英治神奈川県久良岐郡中村根岸(現・神奈川県横浜市中区山元町)で誕生
徳田秋声が友人の桐生悠々と上京し尾崎紅葉を訪ねたが、玄関番の泉鏡花に不在を告げられて辞去、原稿を返される
1894年(明治27年)10月21日江戸川乱歩三重県名賀郡名張町(現・三重県名張市)で誕生
1895年(明治28年)6月徳田秋声泉鏡花の勧めにより尾崎紅葉の門下に加わる
泉鏡花『文芸俱楽部』に「外科室」を発表
1896年(明治29年)2月尾崎紅葉『読売新聞』に「多情多恨」を連載
8月27日宮沢賢治岩手県稗貫郡里川口村(現・岩手県花巻市)で誕生
11月国木田独歩田山花袋、柳田國男(当時は新体詩人・松岡国男)らが知り合うおそらく同時期に島崎藤村も知り合う
1897年(明治30年)1月1日尾崎紅葉『読売新聞』に「金色夜叉」を連載( - 1902年5月11日) 執筆中に死去したため未完成後に紅葉門下の小栗風葉が1909年(明治42年)に「終編金色夜叉」を書き継いだ
1898年(明治31年)1月国木田独歩『国民之友』に「武蔵野」を発表( - 2月) 発表時の作品名は「今の武蔵野」
2月正岡子規『日本』に「歌よみに与ふる書」を発表(全10回)
2月15日井伏鱒二広島県安那郡加茂村(現・福山市)で誕生
3月17日横光利一福島県北会津郡東山村(現・福島県会津若松市)で誕生
1899年(明治32年)1月20日徳永直熊本県飽託郡花園村(現・熊本市西区)で誕生
志賀直哉が学習院中等科4年進級時に1回目の落第
6月14日川端康成大阪府大阪市北区此花町(現・大阪市北区天神橋)で誕生

1900年 Edit

1900年(明治33年)2月1日泉鏡花『新小説』第5年第3巻に「高野聖」を発表
志賀直哉が学習院中等科4年進級時に2回目の落第武者小路実篤、木下利玄らと同級生になる
8月23日三好達治大阪府大阪市西区西横堀町で誕生
1901年(明治34年)2月17日梶井基次郎大阪府大阪市西区で誕生
1902年(明治35年)1月25日中野重治福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)で誕生
7月国木田独歩「独歩集」を刊行
正岡子規『日本』に「病牀六尺」を連載当時不治の病であった結核を患いながら死の2日前まで連載し続けた
9月19日正岡子規死去、満34歳没
1903年(明治36年)10月30日尾崎紅葉胃癌により死去、満35歳没
12月1日小林多喜二秋田県北秋田郡下川沿村(現・秋田県大館市)で誕生
1904年(明治37年)田山花袋が日露戦争第二写真班員として従軍3月29日に同軍軍医部長の森鴎外を訪ねる、この時が初対面8月15日に発熱して9月20日に帰郷するまでの間、森鴎外と親交を深めた
9月26日小泉八雲狭心症により死去 満54歳没
12月28日堀辰雄東京府東京市麹町区麹町平河町(現・東京都千代田区平河町)で誕生
1905年(明治38年)1月夏目漱石『ホトトギス』*1に「吾輩は猫である」を発表
1906年(明治39年)3月島崎藤村「破戒」を自費出版
4月夏目漱石『ホトトギス』に「坊っちゃん」を発表
10月20日坂口安吾新潟県新潟市西大畑通(現・中央区西大畑町)で誕生
1907年(明治40年)1月1日泉鏡花『やまと新聞』に「婦系図」を連載( - 4月28日)
4月29日中原中也山口県吉敷郡山口町字下宇野令村(現・山口県山口市湯田温泉)で誕生
9月田山花袋『新小説』*2に「蒲団」を発表
10月18日志賀直哉武者小路実篤が神奈川県藤沢町鵠沼の旅館東屋で文芸雑誌『白樺』の発刊について話し合う
1908年(明治41年)6月23日国木田独歩肺結核により死去、満36歳没
12月パンの会*3の第1回会合が隅田川の右岸の両国橋に近い矢ノ倉河岸の西洋料理「第一やまと」で開催される
1909年(明治42年)3月永井荷風「ふらんす物語」を刊行しかし、作風や情報局から日露戦争後の時局柄好ましくないなどの干渉をうけ、届出と同時に発売禁止となる
5月5日中島敦東京府東京市四谷区箪笥町(現・東京都新宿区三栄町)で誕生
5月10日二葉亭四迷肺炎により死去、満45歳没
6月19日太宰治青森県北津軽郡金木村(現・青森県五所川原市)で誕生
7月森鴎外『スバル』*47号に「ヰタ・セクスアリス」を発表政府から「ヰタ・セクスアリス」が掲載された『スバル』の発禁処分を受ける
10月20日田山花袋「田舎教師」を刊行
1910年(明治43年)2月永井荷風が慶應義塾大学文学科刷新に際し、森鴎外、上田敏の推薦により教授に就任
5月永井荷風が文芸雑誌『三田文学』*5を創刊、主宰
志賀直哉武者小路実篤らが文芸雑誌『白樺』*6を創刊
1911年(明治44年)8月徳田秋声夏目漱石の推挽により『東京朝日新聞』に「黴」を連載( - 11月)
11月永井荷風『三田文学』に「谷崎潤一郎氏の作品」を発表
1912年(大正元年)4月13日石川啄木肺結核により死去、満26歳没
1913年(大正2年)7月30日新美南吉愛知県知多郡半田町岩滑(現・愛知県半田市岩滑)で誕生
10月26日織田作之助大阪府大阪市南区生玉前町(現・大阪市天王寺区上汐)で誕生
1914年(大正3年)3月高村光太郎『美の廃墟』に「道程」を発表、この時は102行の長詩
4月20日夏目漱石『東京朝日新聞』に「こゝろ」を連載( - 8月11日)
10月高村光太郎「道程」を刊行、詩は9行で3月に発表した詩の最後の1小節
12月高村光太郎が長沼智恵子と結婚
志賀直哉が勘解由小路康子(武者小路実篤の従妹)と婚約、東京麹町元園町の武者小路家で結婚式を挙げる結婚に反対していた父・直温はいなかったが実篤夫妻は同席していた
1915年(大正4年)1月徳田秋声『読売新聞』に「あらくれ」を連載( - 7月)
12月芥川龍之介夏目漱石の門下に加わる
1916年(大正5年)1月森鴎外『中央公論』に「高瀬舟」を発表
3月『三田文学』で反体制の問題作が次々と掲載されるようになり、谷崎潤一郎の「飆風(ひょうふう)」を載せた号が発禁処分になったことから大学側と永井荷風が対立大学を辞任し、『三田文学』から手をひく
5月永井荷風が大久保余丁町の本邸に帰り、一室を「断腸亭」と名づけ起居
8月永井荷風『文明』に「腕くらべ」を連載( - 1917年10月)
12月9日夏目漱石胃潰瘍により死去、満49歳没
1917年(大正6年)1月芥川龍之介谷崎潤一郎宅を訪問。面識を得る。
5月志賀直哉『白樺』に「城の崎にて」を発表
9月永井荷風が木挽町九丁目の借家を仮住居とし「無用庵」と名づける
9月16日永井荷風日記の執筆を再開、後の「断腸亭日乗」の始まり
1918年(大正7年)5月島崎藤村『東京朝日新聞』に「新生」を連載
11月文壇における多年の功績により田山花袋徳田秋声誕生五十年記念祝賀会が催される
1921年(大正10年)4月志賀直哉『改造』に「暗夜行路」前編を連載( - 8月)
1922年(大正11年)1月志賀直哉『改造』に「暗夜行路」後編を連載( - 1937年4月号まで断続的に掲載)
7月9日森鴎外腎萎縮・肺結核により死去、満60歳没
1923年(大正12年)6月9日有島武郎首吊り自殺により死去、満45歳没
1927年(昭和2年)7月24日芥川龍之介服毒自殺により死去、満35歳没
1928年(昭和3年)9月17日若山牧水急性胃腸炎・肝硬変により死去、満43歳没
1929年(昭和4年)4月島崎藤村『中央公論』に「夜明け前」を連載( - 1935年10月まで断続的に掲載)
1930年(昭和5年)5月13日田山花袋1928年(昭和3年)末に脳溢血のため入院、さらに喉頭癌も発症し死去、満58歳没
1931年(昭和6年)11月上旬小林多喜二が奈良の志賀直哉邸宅に訪問・宿泊する
1932年(昭和7年)3月24日梶井基次郎肺結核により死去、満31歳没
5月低迷期に入っていた徳田秋声を励ますため室生犀星、中村武羅夫、井伏鱒二、舟橋聖一、尾崎士郎、阿部知二、榊山潤、楢崎勤らが「秋声会」を結成
7月秋声会機関誌『あらくれ』を創刊
秋頃島崎藤村の提唱で「徳田秋声後援会」が組織され、色紙短冊の義捐を行う
1933年(昭和8年)2月20日小林多喜二共産青年同盟中央委員会に潜入していた特高警察のスパイ・三船留吉の活動により特高警察官らに逮捕される同日、築地警察署内で虐殺、その後築地署裏の前田病院に搬送され19時45分死亡確認、満29歳没
9月21日宮沢賢治急性肺炎により死去、満37歳没
1935年(昭和15年)2月28日坪内逍遥死去、満75歳没
11月26日日本ペンクラブ創立。初代会長島崎藤村、会員に徳田秋声正宗白鳥
1936年(昭和11年)11月太宰治佐藤春夫第三回芥川賞について激しく応酬する
1937年(昭和12年)4月永井荷風「濹東綺譚」(私家版)を刊行その後、『東京朝日新聞』に連載(4月16日 - 6月15日)
4月28日幸田露伴が文化勲章受章
10月22日中原中也結核性脳膜炎により死去、満30歳没
1938年(昭和13年)10月5日高村光太郎の妻・智恵子が粟粒性肺結核により死去
1939年(昭和14年)9月7日泉鏡花癌性肺腫瘍により死去、満65歳没
1940年(昭和15年)5月太宰治「走れメロス」を刊行
1941年(昭和16年)6月28日徳田秋声『都新聞』に「縮図」を連載( - 9月15日)情報局から太平洋戦争直前の時局柄好ましくないという干渉をうけ、第80回で連載を中絶
高村光太郎「智恵子抄」を刊行
1942年(昭和17年)5月11日萩原朔太郎急性肺炎により死去、満55歳没
11月2日北原白秋1937年に糖尿病および腎臓病の合併症のため眼底出血を引き起こし入院、盲目状態に年末にかけて病状が悪化し死去、満57歳没
12月4日中島敦気管支喘息により死去、満33歳没
1943年(昭和18年)3月22日新美南吉結核により死去、満29歳没
8月22日島崎藤村脳溢血により死去、満71歳没
11月18日徳田秋声肋膜癌により死去、満71歳没
正宗白鳥が第2代日本ペンクラブ会長に就任
谷崎潤一郎「細雪」を『中央公論』に連載開始するがすぐに軍部により連載中止となる
1944年(昭和19年)谷崎潤一郎「細雪」上巻(私家版)を刊行
1945年(昭和20年)8月永井荷風が岡山県勝山町に疎開中の谷崎潤一郎を訪問した後、岡山三門町の武南家に戻り、そこで終戦を知る
1947年(昭和22年)1月10日織田作之助結核により死去、満33歳没
7月30日幸田露伴糖尿病により死去、満80歳没
12月30日横光利一胃潰瘍・急性腹膜炎により死去、満49歳没
志賀直哉が第3代日本ペンクラブ会長に就任、戦中休止状態だったペンクラブを再建する
1948年(昭和23年)3月6日菊池寛狭心症により死去、満59歳没
6月13日太宰治入水自殺により死去、満39歳没
6月川端康成が第4代日本ペンクラブ会長に就任、文学による平和活動・国際貢献を行う

1950年 Edit

1953年(昭和28年)5月28日堀辰雄肺結核により死去、満48歳没
1955年(昭和30年)2月17日坂口安吾脳出血により死去、満48歳没
1956年(昭和31年)4月2日高村光太郎肺結核により死去、満73歳没
1958年(昭和33年)2月15日徳永直胃癌により死去、満59歳没
1959年(昭和34年)4月30日永井荷風胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺により死去、満79歳没
1962年(昭和37年)3月26日室生犀星肺癌により死去、満72歳没
9月7日吉川英治肺癌により死去、満70歳没
10月28日正宗白鳥膵臓癌により死去、満83歳没
1964年(昭和39年)4月5日三好達治心臓発作により死去、満63歳没
5月6日佐藤春夫心筋梗塞により死去、満72歳没
1965年(昭和40年)7月28日江戸川乱歩くも膜下出血により死去、満70歳没
7月30日谷崎潤一郎腎不全及び心不全により死去、満79歳没
1968年(昭和43年)10月17日川端康成が日本人として初のノーベル文学賞受賞
1971年(昭和46年)10月21日志賀直哉肺炎及び老衰により死去、満88歳没
1972年(昭和47年)4月16日川端康成ガス自殺により死去、満72歳没
1976年(昭和51年)4月9日武者小路実篤尿毒症により死去、満90歳没
1979年(昭和54年)8月24日中野重治胆のう癌により死去、満77歳没
1993年(平成5年)7月10日井伏鱒二肺炎により死去 満95歳没

誕生日一覧 Edit

誕生日一覧(旧暦) Edit

+ こちらは旧暦の誕生日です。折り畳んであります。

コメント Edit


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 徳永直の誕生日と命日です。追加お願いします。
    1899年(明治32年)1月20日 熊本県飽託郡花園村(現熊本市西区)で誕生
    1958年(昭和33年)2月15日 胃癌により死去、満59歳没 -- 2017-05-01 (月) 00:54:03
  • 刊行や発表と同列に直哉さんの落第記録があることに吹いた(笑) -- 2017-05-02 (火) 20:11:43
  • 井伏鱒二が加わったら、一気に時代が飛ぶな -- 2017-05-18 (木) 15:43:13
  • 井伏鱒二の誕生日と命日です。追加お願いします
    1898年(明治31年)2月15日 広島県安那郡加茂村(現・福山市)で誕生
    1993年(平成5年)7月10日 肺炎により死去 満95歳 -- 2017-05-24 (水) 21:25:51
  • 小泉八雲の生没を追加しました。 -- 2017-06-11 (日) 05:21:15
  • 1968年(昭和43年)10月17日 川端康成が日本人として初のノーベル文学賞受賞 -- 2017-07-20 (木) 21:36:34
    • 追加お願いします -- 2017-07-20 (木) 21:37:17
    • 追加しました。 -- 2017-07-21 (金) 00:15:55
  • 藤村くんと二日違いだw -- 2017-08-04 (金) 00:19:55
  • 9月は1人もお誕生日いないんですね…。しばらくケーキ見納めですね -- 2017-08-30 (水) 07:28:22
  • 森鴎外の命日は1923年ではなく1922年だと思います -- 2017-11-04 (土) 16:24:43
  • 二葉亭四迷の生没年追加お願いします。

    1864年(元治元年) 4月4日(旧2月28日) 江戸市ヶ谷(現・東京都新宿区)で誕生
    1909年5月10日 肺炎により死去、満45歳没 -- 2017-11-24 (金) 21:14:06
    • 「森鴎外の命日」と「二葉亭四迷の生没年」を追加される方がいないようなので、ページ一番上の「編集」から前の行をコピペ+文字編集して「プレビュー」で確認後「ページの更新」をさせていただきました。どこか間違っていたらすみません -- 2017-12-06 (水) 21:30:50
お名前: Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

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*1 合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。1897年(明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊。正岡子規は選者として参加。
文アルに登場する執筆者【芥川我鬼(龍之介)、泉鏡花、夏目漱石、田山花袋、森鴎外、徳田秋声】

*2 1889年1月から1890年6月まで(第1次)、および1896年7月から1926年11月まで(第2次)発行された文芸雑誌。1927年(昭和2年)1月から『黒潮』(くろしお)と改題し、同年3月まで3号のみ発行した。
第2次は隆盛をきわめ、多くの名作を生み出した。この時期に文アルに登場する文豪たちが作品を掲載している。
文アルに登場する執筆者【泉鏡花、夏目漱石、田山花袋、森鴎外、江戸川乱歩、横光利一】

*3 明治末期の青年文芸・美術家の懇談会。「パン」はギリシア神話に登場する牧神で、享楽の神でもある。1894年にベルリンで結成された芸術運動「パンの会」に因むものだそう。
パンの会は反自然主義、耽美的傾向の新しい芸術運動の場となり、1908年末から1913年頃まで続いた。
文アルに登場する参加者【谷崎潤一郎、永井荷風、北原白秋、高村光太郎】

*4 1909年から1913年まで刊行された反自然主義的・ロマン主義的な文芸雑誌。文芸雑誌『明星』の廃刊後、森鴎外や与謝野寛(鉄幹)、与謝野晶子らが協力して発行。創刊号の発行人は石川啄木が務めた。
文アルに登場する執筆者【森鴎外、北原白秋、高村光太郎、石川啄木】

*5 1910年から慶應義塾大学文学部を中心に刊行されてきた文芸雑誌。かつては反自然主義的で耽美派で知られ、シュルレアリスムの作家・詩人も輩出してきた。商業文芸誌を除くと、日本国で一番長く存続している歴史を持つ文芸雑誌だそう。
慶應義塾大学幹事の石田新太郎の主導により、文学科教授の森鴎外と協議し、上田敏を顧問に、永井荷風を主幹に据えて創刊。
現在も年4回、会員制による「三田文学会」という支持団体によって発行されている。
文アルに登場する執筆者【萩原朔太郎、泉鏡花、谷崎潤一郎、永井荷風、森鴎外、佐藤春夫】

*6 学習院の学生で顔見知りの十数人が、1908年から月2円を拠出し文芸雑誌を刊行。
『白樺』を中心にして起こった文芸思潮、またその理念や作風を共有していたと考えられる作家達を「白樺派」と呼んだ。
大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。


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Last-modified: 2017-12-06 (水) 15:27:50