「史実」の定義について Edit

このサイトにおいて「史実」という単語はゲーム公式に準拠し、モデルとなった文豪の生涯を中心に、歴史書に載らない逸話等も包括する広義的な内容を示すものとする

年表 Edit

文豪たちの生没年や代表作発表時期、その他ちょっとした出来事等をまとめた年表です。

この年表は実際の歴史を元に作成しています。 ゲームの世界はどこかの時点で違う歴史になっている所謂パラレルワールドなので、この年表の出来事が正確とは限りません(近代風情が長く続く世界、ということなので戦前の状態が未だに続いている?)。

詳しくはWikipediaをご参照ください。

1800年 Edit

1809年
(文化6年)
1月19日ポーアメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストンで誕生
1821年
(文政4年)
11月11日ドストエフスキーロシア帝国 モスクワで誕生
1828年
(文政11年)
9月9日トルストイロシア帝国 ヤースナヤ・ポリャーナで誕生
1832年
(天保3年)
1月27日ルイス・キャロルイギリス・チェシャー州ダーズベリで誕生
1849年
(嘉永2年)
10月7日ポー死去。死因不明。満40歳没
1850年(嘉永3年)6月27日小泉八雲ギリシャ・レフカダ島(当時はイギリス領)で誕生
1859年(安政6年)5月22日コナン・ドイルイギリス・スコットランド・エディンバラで誕生
6月22日(旧5月22日)坪内逍遥美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)で誕生
1862年(文久2年)2月17日(旧1月19日)森鴎外石見国鹿足郡津和野町町田村(現・島根県津和野町)で誕生
1864年(元治元年)4月4日(旧2月28日)二葉亭四迷江戸市ヶ谷(現・東京都新宿区)で誕生
9月18日(旧8月18日)伊藤左千夫上総国武射郡殿台村十八番屋敷(現・山武市殿台)で誕生
1867年(慶応3年)2月9日(旧1月5日)夏目漱石武蔵国江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区喜久井町)で誕生
8月22日(旧7月23日)幸田露伴武蔵国江戸下谷(現・東京都台東区下谷)で誕生
10月14日(旧9月17日)正岡子規伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)で誕生
1868年(慶応3年)1月10日(旧12月16日)尾崎紅葉江戸芝中門前町(現・東京都港区芝大門)で誕生
8月25日
(旧7月8日)
山田美妙武蔵国江戸府神田(現・東京都千代田区神田須田町二丁目)で誕生
12月8日
(旧10月25日)
徳冨蘆花肥後国葦北郡水俣村(現・熊本県水俣市)で誕生
1871年(明治4年)8月30日(旧7月15日)国木田独歩千葉県銚子で誕生
1872年(明治5年)1月22日(旧1871年12月13日)田山花袋栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)で誕生
2月1日(旧1871年12月23日)徳田秋声金沢県金沢市横山町(現・石川県金沢市横山町)で誕生
3月25日(旧1872年2月17日)島崎藤村筑摩県第八大区五小区馬籠村(現・岐阜県中津川市馬籠)で誕生
1873年(明治6年)1月20日岩野泡鳴名東県津名郡洲本馬場町(現・兵庫県洲本市海岸通2丁目)で誕生
2月26日河東碧梧桐愛媛県温泉郡千船町(現・松山市千舟町)で誕生
11月4日泉鏡花石川県金沢市下新町で誕生
1874年
(明治7年)
2月22日高浜虚子愛媛県温泉郡長町新町(現・松山市湊町)で誕生
1878年(明治11年)3月4日有島武郎東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)で誕生
1879年(明治12年)3月3日正宗白鳥岡山県和気郡穂浪村(現・備前市穂浪)で誕生
12月3日永井荷風東京府東京市小石川区(現・東京都文京区春日)で誕生
1880年(明治13年)養成小学校(現在の金沢市立馬場小学校)に徳田秋声と一学年下に泉鏡花が通っていた。この時点では顔見知り程度
1881年(明治14年)2月9日ドストエフスキー死去。満59歳没
1882年
(明治15年)
4月7日小川未明新潟県高田市(現・上越市)で誕生
5月14日斎藤茂吉山形県南村山郡金瓶村(現・上山市)で誕生
1883年(明治16年)2月20日志賀直哉宮城県牡鹿郡石巻町(現・石巻市)で誕生
3月13日高村光太郎東京府東京市下谷区下谷西町(現・東京都台東区東上野)で誕生
1885年(明治18年)1月25日北原白秋熊本県玉名郡関外目村(現・玉名郡南関町)で誕生
4月4日中里介山神奈川県西多摩郡羽村(現・東京都羽村市)で誕生
5月尾崎紅葉らを中心に近代日本最初の文芸雑誌とも言われる「我楽多文庫」が作られる
5月12日武者小路実篤東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区麹町)で誕生
8月24日若山牧水宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)で誕生
 坪内逍遥が日本最初の近代的文学論といわれる「小説真髄」を発表。日本に西洋近代文学および写実主義を紹介する
1886年(明治19年)2月20日石川啄木岩手県南岩手郡日戸村(現・盛岡市日戸)で誕生
7月24日谷崎潤一郎東京府東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋人形町)で誕生
10月8日吉井勇東京府芝区高輪で誕生
11月1日萩原朔太郎群馬県東群馬郡北曲輪町(現・前橋市千代田町)で誕生
1887年
(明治20年)
7月27日山本有三栃木県下都賀郡栃木町(現・栃木市)で誕生
1888年(明治21年)7月14日里見神奈川県横浜市で誕生
12月26日菊池寛香川県香川郡高松(現・高松市)で誕生
1889年(明治22年)1月夏目漱石正岡子規の親交が始まる
1月4日夢野久作福岡県福岡市で誕生
4月泉鏡花が友人の下宿において尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読み衝撃を受け、文学に志す
6月23日三木露風兵庫県揖西郡龍野町(現・兵庫県たつの市)で誕生
8月1日室生犀星石川県金沢市で誕生
11月泉鏡花尾崎紅葉の門下に入ることを志し、上京
1890年(明治23年)1月森鴎外「国民之友」に「舞姫」を発表
4月小泉八雲雑誌通信員として来日、8月に島根県尋常中学校へ英語教師として赴任
8月20日ラヴクラフトアメリカ合衆国ロードアイランド州プロヴィデンスで誕生
1891年(明治24年)2月12日直木三十五大阪府大阪市南区(現・大阪市中央区)で誕生
9月28日松岡譲新潟県古志郡石坂村大字鷺巣(現・長岡市鷺巣町)で誕生
10月19日泉鏡花尾崎紅葉の門下に加わる
11月23日久米正雄長野県上田市で誕生
田山花袋尾崎紅葉の門下に加わるが、尾崎紅葉の指示により江見水蔭の指導を受ける
坪内逍遥森鴎外の間で「没理想論争」が起こる(翌年決着)
12月5日広津和郎東京府東京市牛込区矢来町で誕生
1892年(明治25年)3月1日芥川龍之介東京府東京市京橋区入船町(現・東京都中央区明石町)で誕生
4月9日佐藤春夫和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で誕生
8月11日吉川英治神奈川県久良岐郡中村根岸(現・横浜市中区山元町)で誕生
徳田秋声が友人の桐生悠々と上京し尾崎紅葉を訪ねたが、玄関番の泉鏡花に不在を告げられて辞去、原稿を返される
1894年(明治27年)10月21日江戸川乱歩三重県名賀郡名張町(現・名張市)で誕生
1895年(明治28年)6月徳田秋声泉鏡花の勧めにより尾崎紅葉の門下に加わる
泉鏡花「文芸俱楽部」に「外科室」を発表
1896年(明治29年)2月尾崎紅葉「読売新聞」に「多情多恨」を連載
8月27日宮沢賢治岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)で誕生
11月国木田独歩田山花袋、柳田國男(当時は新体詩人・松岡国男)らが知り合う。おそらく同時期に島崎藤村も知り合う
1897年(明治30年)1月1日尾崎紅葉「読売新聞」に「金色夜叉」を連載( - 1902年5月11日) 。執筆中に死去したため未完成。後に紅葉門下の小栗風葉が1909年(明治42年)に「終編金色夜叉」を書き継いだ
1898年(明治31年)1月国木田独歩「国民之友」に「武蔵野」を発表( - 2月)。発表時の作品名は「今の武蔵野」
1月14日ルイス・キャロルインフルエンザから肺炎を併発し死去、満65歳没
2月正岡子規「日本」に「歌よみに与ふる書」を発表(全10回)
2月15日井伏鱒二広島県安那郡加茂村(現・福山市)で誕生
3月17日横光利一福島県北会津郡東山村(現・会津若松市)で誕生
1899年(明治32年)1月20日徳永直熊本県飽託郡花園村(現・熊本市西区)で誕生
志賀直哉が学習院中等科4年進級時に1回目の落第
6月14日川端康成大阪府大阪市北区此花町(現・大阪市北区天神橋)で誕生

1900年 Edit

1900年(明治33年)2月1日泉鏡花「新小説」第5年第3巻に「高野聖」を発表
4月与謝野鉄幹主宰の文芸雑誌「明星」創刊。石川啄木高村光太郎北原白秋吉井勇らが参加(1908年終刊)
志賀直哉が学習院中等科4年進級時に2回目の落第。武者小路実篤、木下利玄らと同級生になる
8月23日三好達治大阪府大阪市西区西横堀町で誕生
1901年(明治34年)2月17日梶井基次郎大阪府大阪市西区で誕生
1902年(明治35年)1月25日中野重治福井県坂井郡高椋村一本田(現・坂井市丸岡町一本田)で誕生
7月国木田独歩「独歩集」を刊行
正岡子規「日本」に「病牀六尺」を連載。当時不治の病であった結核を患いながら死の2日前まで連載を続けた
9月19日正岡子規結核(肺結核及び脊椎カリエス)により死去、満34歳没
1903年(明治36年)5月12日草野心平福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)で誕生
10月30日尾崎紅葉胃癌により死去、満35歳没
12月1日小林多喜二秋田県北秋田郡下川沿村(現・大館市)で誕生
1904年(明治37年)田山花袋が日露戦争第二写真班員として従軍。3月29日に広島市で同軍軍医部長の森鴎外を訪ねる。この時が初対面。8月15日に発熱して9月20日に帰郷するまでの間、森鴎外と親交を深めた
9月26日小泉八雲心臓発作により死去、満54歳没
12月28日堀辰雄東京府東京市麹町区麹町平河町(現・東京都千代田区平河町)で誕生
1905年(明治38年)1月夏目漱石「ホトトギス」*1に「吾輩は猫である」を発表
1906年(明治39年)3月島崎藤村「破戒」を自費出版
4月夏目漱石「ホトトギス」に「坊っちゃん」を発表
10月20日坂口安吾新潟県新潟市西大畑通(現・新潟市中央区西大畑町)で誕生
1907年(明治40年)1月1日泉鏡花「やまと新聞」に「婦系図」を連載( - 4月28日)
4月29日中原中也山口県吉敷郡山口町字下宇野令村(現・山口市湯田温泉)で誕生
9月田山花袋「新小説」*2に「蒲団」を発表
10月18日志賀直哉武者小路実篤が神奈川県藤沢町鵠沼の旅館東屋で文芸雑誌「白樺」の発刊について話し合う
1908年(明治41年)6月23日国木田独歩肺結核により死去、満36歳没
12月パンの会*3の第1回会合が隅田川右岸の両国橋に近い矢ノ倉河岸の西洋料理店「第一やまと」で開催される
1909年(明治42年)1月森鴎外や与謝野鉄幹・晶子らにより文芸雑誌「スバル」創刊。石川啄木高村光太郎北原白秋吉井勇らが参加(1913年終刊)
3月永井荷風「ふらんす物語」を刊行。情報局から日露戦争後の時局柄好ましくないなどの干渉をうけ、届出と同時に発売禁止となる
北原白秋第一詩集「邪宗門」刊行
5月5日中島敦東京府東京市四谷区箪笥町(現・東京都新宿区三栄町)で誕生
5月10日二葉亭四迷肺炎により死去、満45歳没
6月19日太宰治青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)で誕生
7月森鴎外「スバル」7号に「ヰタ・セクスアリス」を発表するが、政府から掲載号の発禁処分を受ける
10月20日田山花袋「田舎教師」を刊行
1910年(明治43年)2月永井荷風が慶應義塾大学文学科刷新に際し、森鴎外、上田敏の推薦により教授に就任
5月永井荷風が文芸雑誌「三田文学」*4を創刊、主宰
志賀直哉武者小路実篤らが文芸雑誌「白樺」*5を創刊
10月24日山田美妙耳下腺癌腫により死去、満42歳没
11月20日トルストイ肺炎により死去、満82歳没
1911年(明治44年)8月徳田秋声夏目漱石の推挽により「東京朝日新聞」に「黴」を連載( - 11月)
11月永井荷風「三田文学」に「谷崎潤一郎氏の作品」を発表、谷崎が文壇へ出るきっかけとなる
1912年(大正元年)02月03日檀一雄山梨県南都留郡谷村町(現・都留市)で誕生
4月13日石川啄木肺結核により死去、満26歳没
1913年(大正2年)7月30日新美南吉愛知県知多郡半田町岩滑(現・半田市岩滑)で誕生
伊藤左千夫脳出血により死去、満48歳没
10月26日織田作之助大阪府大阪市南区生玉前町(現・大阪市天王寺区上汐)で誕生
1914年(大正3年)3月高村光太郎「美の廃墟」に「道程」を発表、この時は102行の長詩
4月20日夏目漱石「東京朝日新聞」に「こゝろ」を連載( - 8月11日)
10月高村光太郎「道程」を刊行。詩篇「道程」は3月に発表した長詩の最後の1小節、9行のみとなる
12月高村光太郎が長沼智恵子と結婚
志賀直哉が勘解由小路康子(武者小路実篤の従妹)と婚約、東京市麹町区元園町の武者小路家で結婚式を挙げる。結婚に反対していた父・直温はいなかったが、実篤夫妻は同席していた
1915年(大正4年)1月徳田秋声「読売新聞」に「あらくれ」を連載( - 7月)
12月芥川龍之介夏目漱石の門下に加わる
1916年(大正5年)1月森鴎外「中央公論」に「高瀬舟」を発表
3月「三田文学」で反体制の問題作が次々と掲載されるようになり、谷崎潤一郎の「飆風(ひょうふう)」を載せた号が発禁処分になったことから大学側と永井荷風が対立。大学を辞任し、「三田文学」から手をひく
5月永井荷風が大久保余丁町の本邸に帰り、一室を「断腸亭」と名づけ起居
8月永井荷風「文明」に「腕くらべ」を連載( - 1917年10月)
12月9日夏目漱石胃潰瘍により死去、満49歳没
1917年(大正6年)1月芥川龍之介谷崎潤一郎宅を訪問、面識を得る
2月萩原朔太郎第一詩集「月に吠える」を刊行
5月志賀直哉「白樺」に「城の崎にて」を発表
9月永井荷風が木挽町九丁目の借家を仮住居とし「無用庵」と名づける
9月16日永井荷風日記の執筆を再開、後の「断腸亭日乗」の始まり
1918年(大正7年)1月室生犀星第一詩集「愛の詩集」を刊行
5月島崎藤村「東京朝日新聞」に「新生」を連載
11月文壇における多年の功績により、田山花袋徳田秋声誕生五十年記念祝賀会が催される
1920年(大正9年)5月9日岩野泡鳴腸チフスから大腸穿孔を発症し死去、満47歳没
1921年(大正10年)4月志賀直哉「改造」に「暗夜行路」前編を連載( - 8月)
1922年(大正11年)1月志賀直哉「改造」に「暗夜行路」後編を連載( - 1937年4月号まで断続的に掲載)
7月9日森鴎外腎萎縮・肺結核により死去、満60歳没
1923年(大正12年)6月9日有島武郎首吊り自殺により死去、満45歳没
1924年(大正13年)4月20日宮沢賢治「春と修羅」を刊行
1927年(昭和2年)7月24日芥川龍之介服毒自殺により死去、満35歳没
9月18日徳冨蘆花心臓発作により死去、満58歳没
1928年(昭和3年)9月17日若山牧水肝硬変により死去、満43歳没
1929年(昭和4年)4月島崎藤村「中央公論」に「夜明け前」を連載( - 1935年10月まで断続的に掲載)
1930年(昭和5年)5月13日田山花袋喉頭癌により死去、満58歳没
7月7日コナン・ドイル心臓発作により死去、満71歳没
1931年(昭和6年)11月上旬小林多喜二が奈良の志賀直哉邸を訪問、宿泊する
1932年(昭和7年)3月24日梶井基次郎肺結核により死去、満31歳没
5月低迷期に入っていた徳田秋声を励ますため室生犀星、中村武羅夫、井伏鱒二、舟橋聖一、尾崎士郎、阿部知二、榊山潤、楢崎勤らが「秋声会」を結成
7月秋声会機関誌「あらくれ」を創刊
秋頃島崎藤村の提唱で「徳田秋声後援会」が組織され、色紙短冊の義捐を行う
1933年(昭和8年)2月20日小林多喜二共産青年同盟中央委員会に潜入していた特高警察のスパイ・三船留吉の活動により特高警察に逮捕される。同日、築地警察署内で虐殺、その後築地署裏の前田病院に搬送され19時45分死亡確認、満29歳没
9月21日宮沢賢治急性肺炎により死去、満37歳没
1934年(昭和9年)2月24日直木三十五結核性脳膜炎により死去、満43歳没
12月10日中原中也第一詩集「山羊の歌」を刊行
1935年(昭和10年)1月夢野久作「ドグラ・マグラ」を刊行
2月28日坪内逍遥死去、満75歳没
11月26日日本ペンクラブ創立。初代会長島崎藤村、会員に徳田秋声正宗白鳥
1936年(昭和11年)檀一雄「夕張胡亭塾景観」が第2回芥川賞の候補作となる
3月11日夢野久作脳出血により死去、満47歳没
11月太宰治佐藤春夫第三回芥川賞について激しく応酬する
1937年(昭和12年)2月1日河東碧梧桐腸チフスから敗血症を発症し死去、満64歳没
3月15日ラヴクラフト腎炎により死去、満46歳没
4月永井荷風「濹東綺譚」(私家版)を刊行、その後「東京朝日新聞」に連載(4月16日 - 6月15日)
4月28日幸田露伴が文化勲章受章
10月22日中原中也結核性脳膜炎により死去、満30歳没
1938年(昭和13年)10月5日高村光太郎の妻・智恵子が粟粒性肺結核により死去
1939年(昭和14年)9月7日泉鏡花癌性肺腫瘍により死去、満65歳没
1940年(昭和15年)織田作之助前年発表した「俗臭」が室生犀星の推薦によって第十回芥川賞の候補作となり注目される
5月太宰治「走れメロス」を刊行
1941年(昭和16年)6月28日徳田秋声「都新聞」に「縮図」を連載( - 9月15日)。情報局から太平洋戦争直前の時局柄好ましくないとの干渉をうけ、第80回で連載を中絶
高村光太郎「智恵子抄」を刊行
1942年(昭和17年)5月11日萩原朔太郎急性肺炎により死去、満55歳没
11月2日北原白秋糖尿病および腎臓病の悪化により死去、満57歳没
12月4日中島敦気管支喘息により死去、満33歳没
1943年(昭和18年)3月22日新美南吉結核により死去、満29歳没
8月22日島崎藤村脳出血により死去、満71歳没
11月18日徳田秋声肋膜癌により死去、満71歳没
正宗白鳥が第2代日本ペンクラブ会長に就任
谷崎潤一郎「中央公論」に「細雪」を連載開始するが、第2回を掲載したところで軍部の干渉をうけ中止となる
1944年(昭和19年)谷崎潤一郎「細雪」上巻(私家版)を刊行
4月28日中里介山腸チフスにより死去、満59歳没
1945年(昭和20年)8月永井荷風が岡山県勝山町に疎開中の谷崎潤一郎を訪問した後、岡山三門町の武南家に戻り、そこで終戦を知る
1947年(昭和22年)1月10日織田作之助結核により死去、満33歳没
7月30日幸田露伴糖尿病により死去、満80歳没
12月30日横光利一胃潰瘍・急性腹膜炎により死去、満49歳没
志賀直哉が第3代日本ペンクラブ会長に就任、戦中休止状態だったペンクラブを再建する
1948年(昭和23年)3月6日菊池寛狭心症により死去、満59歳没
6月13日太宰治入水自殺により死去、満39歳没
6月川端康成が第4代日本ペンクラブ会長に就任、文学による平和活動・国際貢献を行う

1950年 Edit

1952年(昭和27年)3月1日久米正雄脳出血により死去、満60歳没
1953年(昭和28年)2月25日斎藤茂吉心臓喘息により死去、満70歳没
5月28日堀辰雄肺結核により死去、満48歳没
1955年(昭和30年)2月17日坂口安吾脳出血により死去、満48歳没
1956年(昭和31年)4月2日高村光太郎肺結核により死去、満73歳没
1958年(昭和33年)2月15日徳永直胃癌により死去、満59歳没
1959年(昭和34年)4月8日高浜虚子脳出血により死去、満85歳没
4月30日永井荷風胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺により死去、満79歳没
1960年(昭和35年)11月19日吉井勇胃癌から転移した肺癌により死去、満74歳没
1961年(昭和36年)5月11日小川未明脳出血により死去、満79歳没
1962年(昭和37年)3月26日室生犀星肺癌により死去、満72歳没
9月7日吉川英治肺癌により死去、満70歳没
10月28日正宗白鳥膵臓癌により死去、満83歳没
1964年(昭和39年)4月5日三好達治心臓発作により死去、満63歳没
5月6日佐藤春夫心筋梗塞により死去、満72歳没
12月29日三木露風脳出血により死去、満75歳没
1965年(昭和40年)7月28日江戸川乱歩くも膜下出血により死去、満70歳没
7月30日谷崎潤一郎腎不全及び心不全により死去、満79歳没
1968年(昭和43年)9月21日広津和郎心臓発作により死去、満77歳没
10月17日川端康成が日本人として初のノーベル文学賞受賞
1969年(昭和44年)7月22日松岡譲脳出血により死去、満77歳没
1971年(昭和46年)10月21日志賀直哉肺炎により死去、満88歳没
1972年(昭和47年)4月16日川端康成ガス自殺により死去、満72歳没
1974年(昭和49年)1月11日山本有三高血圧症から肺炎による急性心不全を併発して死去、満86歳没
1976年(昭和51年)01月02日檀一雄悪性肺がんにより死去、満63歳没
死後「火宅の人」で昭和51年度読売文学賞を追贈された。
4月9日武者小路実篤尿毒症により死去、満90歳没
1979年(昭和54年)8月24日中野重治胆のう癌により死去、満77歳没
1983年(昭和58年)1月21日里見肺炎により死去、満94歳没
1988年(昭和63年)11月12日草野心平急性心不全により死去、満85歳没
1993年(平成5年)7月10日井伏鱒二肺炎により死去、満95歳没

誕生日一覧 Edit

誕生日一覧(旧暦) Edit

+ こちらは旧暦の誕生日です。折り畳んであります。

コメント Edit


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  • 小泉八雲の生没を追加しました。 -- 2017-06-11 (日) 05:21:15
  • 1968年(昭和43年)10月17日 川端康成が日本人として初のノーベル文学賞受賞 -- 2017-07-20 (木) 21:36:34
    • 追加お願いします -- 2017-07-20 (木) 21:37:17
    • 追加しました。 -- 2017-07-21 (金) 00:15:55
  • 藤村くんと二日違いだw -- 2017-08-04 (金) 00:19:55
  • 9月は1人もお誕生日いないんですね…。しばらくケーキ見納めですね -- 2017-08-30 (水) 07:28:22
  • 森鴎外の命日は1923年ではなく1922年だと思います -- 2017-11-04 (土) 16:24:43
  • 二葉亭四迷の生没年追加お願いします。

    1864年(元治元年) 4月4日(旧2月28日) 江戸市ヶ谷(現・東京都新宿区)で誕生
    1909年5月10日 肺炎により死去、満45歳没 -- 2017-11-24 (金) 21:14:06
    • 「森鴎外の命日」と「二葉亭四迷の生没年」を追加される方がいないようなので、ページ一番上の「編集」から前の行をコピペ+文字編集して「プレビュー」で確認後「ページの更新」をさせていただきました。どこか間違っていたらすみません -- 2017-12-06 (水) 21:30:50
  • 伊藤左千夫の誕生日と命日です。追加お願いします。
    1864年(元治元年)8月18日 上総国武射郡殿台村十八番屋敷(現・山武市殿台)で誕生
    1913年(大正2年)7月30日 脳溢血により死去 満50歳 -- 2018-08-28 (火) 13:44:24
    • 反映しました。 -- 2018-08-28 (火) 18:01:29
  • 徳冨蘆花の誕生日と命日の追加をお願いします。
    1868年12月8日(明治元年10月25日) 肥後国葦北郡水俣村(現・熊本県水俣市)で誕生
    1927年(昭和2年)9月18日 心臓発作により死去 満58歳 -- 2019-02-27 (水) 15:19:33
    • 反映しました。 -- 2019-02-27 (水) 16:22:47
  • 檀一雄が1936年(昭和11年)、『夕張胡亭塾景観』が第2回芥川賞候補に選ばれてます。
    あと死後に『火宅の人』で昭和51年度読売文学賞を追贈されてます。
    追加お願いします。 -- 2020-07-20 (月) 05:19:21
  • 1906年(明治39年)に徳冨蘆花(37歳)が、トルストイ(77歳)に会いに行っています。 -- 2020-09-16 (水) 19:53:06
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*1 合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌。1897年(明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊。正岡子規は選者として参加。
文アルに登場する執筆者【芥川我鬼(龍之介)、泉鏡花、夏目漱石、田山花袋、森鴎外、徳田秋声】

*2 1889年1月から1890年6月まで(第1次)、および1896年7月から1926年11月まで(第2次)発行された文芸雑誌。1927年(昭和2年)1月から「黒潮」(くろしお)と改題し、同年3月まで3号のみ発行した。
第2次は隆盛をきわめ、多くの名作を生み出した。この時期に文アルに登場する文豪たちが作品を掲載している。
文アルに登場する執筆者【泉鏡花、夏目漱石、田山花袋、森鴎外、江戸川乱歩、横光利一】

*3 明治末期の青年文芸・美術家の懇談会。「パン」はギリシア神話に登場する牧神で、享楽の神でもある。1894年にベルリンで結成された芸術運動「パンの会」に因むものだそう。
パンの会は反自然主義、耽美的傾向の新しい芸術運動の場となり、1908年末から1913年頃まで続いた。
文アルに登場する参加者【谷崎潤一郎、永井荷風、北原白秋、高村光太郎】

*4 1910年から慶應義塾大学文学部を中心に刊行されてきた文芸雑誌。かつては反自然主義的で耽美派で知られ、シュルレアリスムの作家・詩人も輩出してきた。商業文芸誌を除くと、日本国で一番長く存続している歴史を持つ文芸雑誌だそう。
慶應義塾大学幹事の石田新太郎の主導により、文学科教授の森鴎外と協議し、上田敏を顧問に、永井荷風を主幹に据えて創刊。
現在も年4回、会員制による「三田文学会」という支持団体によって発行されている。
文アルに登場する執筆者【萩原朔太郎、泉鏡花、谷崎潤一郎、永井荷風、森鴎外、佐藤春夫】

*5 学習院の学生で顔見知りの十数人が、1908年から月2円を拠出し文芸雑誌を刊行。
「白樺」を中心にして起こった文芸思潮、またその理念や作風を共有していたと考えられる作家達を「白樺派」と呼んだ。
大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。


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Last-modified: 2020-09-10 (木) 15:41:43